肥土山ってどんなとこ?

肥土山の田園風景

肥土山(ひとやま)はこんなとこ!

小豆島のまん中、瀬戸内国際芸術祭2010年の会場にもなった肥土山〜中山地区は、小豆島で唯一の海の見えない集落。
山に囲まれた盆地の農村地帯には、今も昔のままの風情が残り、小豆島で唯二、肥土山と中山だけに農村歌舞伎が奉納されています。


肥土山と中山は隣同士にありますが、多くの共通点と共に多くの違いがあります。
水があった中山と水が無かった肥土山。平地があった肥土山と平地が無かった中山。
そこには、先人たちの様々な工夫と知恵が織り込まれています。


肥土山の地名の由来は、古代・中世の荘園「肥土荘(ひとのしょう)」にちなみます。
近世、荘園は里肥土(さとひと)と山肥土(やまひと)に分かれ、山肥土が現在の肥土山に、里肥土が土庄・渕崎・上庄になりました。
ちなみに今も旅行者を悩ませる「土庄(とのしょう)」という読み方は、この「ひとのしょう」からきています。
また、肥土山を含む旧大鐸(おおぬで)村の名は、小豆島の始祖「大野手比売(おおぬでひめ)」がその由来。
古代小豆島において、この地域が重要な場所であったことは、名前が示すとおりです。


肥土山地区のまん中には、島最大の伝法川が流れます。山に近く水を管理できたことから、昔は肥土山が小豆島の中心でした。
南北朝時代には、星ヶ城に城を構えていた武将 佐々木信胤が、北朝方・細川師氏の被官として肥土荘の領家職となったという古文書も
残っており、肥土山農村歌舞伎の演目の1つにもなっています。

江戸時代には島全体で30もあった歌舞伎舞台ですが、現存するのは肥土山と中山の2つのみ。
肥土山の人々は、今も歌舞伎舞台を「肥土山の宝」と捉え、先人が守り伝えてきた伝統文化を、地域の皆で力を合わせ次世代へ繋ごうと
考えています。


伝統行事

  1. 虫送り 7月2日(半夏至の日)
  2. 肥土山離宮八幡神社 農村歌舞伎奉納(5月3日)

虫送り#肥土山農村歌舞伎舞台

2009年2月に行われた農村歌舞伎舞台の茅葺屋根全面葺き替え


最近の取組